人が学歴に固執する理由

おれがここ数日ずっと考えていたテーマである
学歴に固執したり崇拝することが馬鹿げているのは分かっているのだが
学歴が高いに越したことは無いと思っている自分もいるし
自分の学歴にコンプレックスを持っている自分もいる

学力や学歴というのは
一見努力をすればどうにかなるように見える
しかしこれもスポーツと同じで
あるレベルまでは誰でも到達可能だが
ある一線のレベルを超えると到達が極めて難しくなるか不可能になると思っている

それは人体の体力や記憶力等ハード的な制約だと思っている
もちろんソフト(思考力やツールや情報、人脈を使いこなす)でハードの欠点を補完することは可能だが
それも限界はあるはずだ

誰でも東大合格だの
偏差値○○のボクだって東大合格だの

そんなのはありっこない
一流大学に行ける人間は限られる

だからその見極めをすることは
学歴コンプレックスで無駄な消耗をすることを防ぐことになる

個々人には能力や適性があり
そこには上限や相性というものがある
つまりは出来ることと出来ないことがあるわけだ

そのメカニズムを考えたい

例えばオリンピック選手やプロのスポーツ選手になろうと考える人は
そう多くはないだろう、逆にいい大学良い高校に入りたいと考える人は
比率で考えれば前者よりも上がるはずだ(統計は無いからオレの感覚による)

なぜそう考えるのか
一つに社会的評価の高さ、もう一つには実現の可能性にある
前者に関してはいうまでもないから後者について考えたい
諸外国もそうだろうが、日本に産まれたからには義務教育から逃れる事はほぼ不可能である
したがって誰しもが教育を経験することになる
個々人の認識はどうあれ

確かに原理的にはきちんと学習をすれば
誰しもが一流大学に入る事は出来るはずだ
入学試験は実技ではなく言語で回答するペーパーテストなわけだから

にも関わらず能力差が出る
これは言語や論理の認識力、理解力
及び記憶力ここが主たる原因であるように思う

つまりどんなに塾や予備校に行こうが
ここの強化なくして上位校に行くことは不可能なのである

頑張ればボク(ワタシ)だってなんとか出来るんじゃない?
的な幻想を抱かせるのが学歴である

どーにもならないんだって
前述の記憶力と論理力は一体どうやって強化するんですか

これはコンピューターでいうところのCPUとメモリ、ストレージ、OSの関係に近いものがあるわけで
自分の脳がどれくらいのスペックを持っているかということを知ることは重要である

てか学歴なんてゲットして何に使うんだろ
学歴があろうがなかろうが真理や原理が変わることはないおんい

学歴なんて
文科省と世間が勝手に決めた答案再現能力のベンチマーク
本人にとっては自己満足
他人にとっては偶像崇拝

ホントの賢さっていうのは
習得した知識を上手く使って
どれだけ論文を書いたかとか本を出したとか
人様に有益な働きをしたかであって

どれだけ社会を前進させたかだよね

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