古典芸能はドラマやお笑いだと思う

落語の事を書こうと思ったら、その周辺知識が必要と思い始めた。つまりは同時代に同じ大衆芸能として位置づけられていた、文楽や歌舞伎、能といったものだ。

オレが無教養だから落語はもちろん他の古典芸能についても全く分かっていない。であればwikipediaや他の良さそうな記事で調べりゃいいし、事実調べていたのだが、文章だけで読んでもぼんやりとしている。You Tubeで見ればいいのだろうが、面倒くさくてそこまではやりたくない。

知りたいことは本やネットにあるのだろうが調べたり見るのが面倒だから自分のアタマで考えてみる。

古典芸能がどうもオレの中で釈然としない理由に、高尚な文芸として世間で位置付けられている点にある。古典芸能の本質はタイトルにも書いた通りドラマやお笑いであり、つまりは俗人の娯楽や暇つぶしというのがオレの見解。そんな娯楽や暇つぶしが高尚であるはずがない。つまり同じ時代を生きる人が予備知識無しに見て直ぐに楽しめるものであり、事実そうだったはずであり、それは今の時代で言えば現代人にとっての笑いやドラマがそれに相当するわけである。

現代人が古典芸能を見ようものなら、文化や生活、言葉が違う以上、当時の人と同じレベルで楽しむのは不可能だろう。現代人が古典芸能を見て面白いというのは単純に現代とのギャップに面白み感じているように思う。着物が珍しいとか、喋り方が変だとか、人形の動きが神秘的だとか。はっきり言えばこういう視覚的、直接的な楽しみ方は低次元だと思う。

時代や文化が違う以上、当時の人と同じレベルで楽しむには予備知識が必要である。つまりは時代や文化の背景、土地や登場人物の予習が必要なわけで、こうしたお勉強要素が古典芸能を高尚な教養に昇華させているのだろう。当時の人から見れば古典芸能の世界観なんていうのは彼らの常識とか日常だから予習は不要で見ればすぐに分かる。

大衆芸能というのは予備知識無しで楽しめるものだと思う。だから古典芸能の本質はドラマやお笑いと考えたわけ。

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