年に数回は人からご飯をごちそうになる。ごちそうしてくれるのはありがたいのだが内心はそれ程喜んでなかったりする。もしろ金額に反比例して喜びやありがたみは小さくなるもので、個人的にありがたかったり嬉しかったりするのは、そこそこシンプルな手料理で気軽にごちそうしてくれることで、高級なお店でごちそうしてくれてもあまり嬉しくなかったりする。高級店ならいつも食えないものが食えたり食費が浮くことはありがたいのだが、相手に貸しが出来るような気もするし、何より自分のペースで味わって飯を食えなかったり、テーブルマナーを気にして食うのが面倒だからだ。
金銭が原資となったもてなしというのは中々厄介である。つまりこちらも何かお返しをしなければならないのではという強迫観念に迫られてしまうからで。これはオレの望まない出費を強いられることだからだ。
高級店でごちそうしてくれるくらいなら、普通に喫茶店でコーヒー一杯ごちそうしてくれるだけでいいから、差額を現金でくれよと思ってしまう。
結局の所おごるという行為は、おごる側の自己満足だと思っている。場合によっては相手より上だという支配欲、上位認識のようなものもあるだろう。どちらも気持ちのいいものではない。
相手を心から喜ばすには相手にお金を使うことではなくて
相手が必要としている行動や物資を提供することだよね
そういう考えだからオレは安易に人に贈り物はしないようにしている。
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