落語 芝浜は名作なのか

落語ド素人のオレが適当に語る。これから書くことは素人がちょこっと落語を見た薄っぺらい表面的な感想文であること断っておく。

芝浜の事はちょくちょく耳にしていたから名前は知っていたし、名作である以上見ないわけにはいかない必見の落語だと思っていた。

ということで、談志の芝浜を見た。ここから感想と考察、演技はリアルの一言に尽きる。旦那は旦那そのものなのは当然として、女である女房はまさにドラマに出てきそうな女房そのもので、これ以上変える必要が無いくらい文句なしの上手さだが、決して面白い落語とは思えない、ストーリーはベタで陳腐な人情物。

そもそも昔話だから現代の演芸と比べストーリーが陳腐なのは仕方ないが、それにしても神格化され過ぎではなかろうか。芝浜以上に泣かせる話や夫婦の美談なんてたくさんあるし、かと言って笑いどころが多かったり、鉄板の爆笑ポイントがあるわけでもない。

本当は面白くもない話を如何に聴かせる話に出来るか、笑える噺に出来るかというのが芝浜の見せ所であり、つまりは演者にとっては非常に難しい落語なのかもしれないとオレは勝手に解釈した。

つまり芝浜というのは笑いやエンターテインメントとしての落語ではなく、演者の技量を試す試金石的位置づけである。

というか現代における落語そのものが昔のようなエンターテイメントではなく演者を試す試金石だと思っている。つまり落語そのものは面白くない、人を笑わせるということに焦点を当てれば現代のお笑いの方が確実に上である。

この考えと多少はオーバーラップするかもしれないことを談志も言っている。”古典落語はどう演じても現代に合わん”(立川談春 赤めだか 17頁)

時代設定とストーリー、演じる空間、小道具etc、現代芸能はもちろん落語と同じ伝統芸能に属する能や狂言等他の芸能と比べても制約は多いわけで、この制約だらけの難しい条件の中でどれだけ楽しませる事が出来るか、というのが現代における落語の位置づけや楽しみ方なのではなかろうか。

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