ゲーム好きが遊ぶべきゲームは2人対戦型ボードゲームではなかろうか

結論から言うとゲームを心からディープに愛する日本人なら将棋か囲碁(その両方)こそ現代にも通じるディープに遊ぶべき最強のゲームということ

理由は簡単でプレイヤー人口の多さ年齢層の広さそれとライフの長さが主な要因。次の要因として電気を使わないから手軽にできる。頭の運動やパズル代わりになる、高い話題や教養へのつながりがある。

つまりは寿命は半永久的でいろいろ潰しが効く汎用性の高い娯楽いうことだ。チェスもこれに入ると思うがオレは日本人なので日本文化に親しみ深い囲碁と将棋で話をする。

さて本題に入る。”囲碁や将棋は知っておいた方が良い”という仮説がここ最近のゲーム漬けの生活で頭に芽生える。今やスマホやPC、据え置きゲーム機のようなビデオゲームが主流であり、囲碁や将棋のようなボードゲームは過去の遺産の印象もあるのだろうが、そうでも無いと思えてきた。事実囲碁や将棋は現代にもしっかり根強く残っているし、今後も数百年、数千年と残りつづけるだろう。少なくともドラクエやFFがこれから50年続くとは思えないが、囲碁や将棋は100年後も残り続けるはずだ。

麻雀やモノポリーもボードゲームに属するわけだが、なぜこれらが最強ではないのか。それは人数や公平性(不正のやりやすさ)の点である。二人麻雀もあるが、麻雀の基本は4人だし、モノポリーも大人数でワイワイやるイメージがある。人を揃えるのは何かと大変だからその点二人対戦型なら人を集めるのが非常に楽になる。

また麻雀やトランプの場合、折り目をつけたり、傷や汚れをつけたりでカードや牌への不正が働き易い、一方将棋や囲碁なら駒の形がなんであろうが色や文字さえしっかり分かればいい。

ちなみにWikipediaによると将棋や囲碁は”二人零和有限確定完全情報ゲーム”属するらしい。
二人零和有限確定完全情報ゲーム – Wikipedia

現代の大量生産されるビデオゲームについてコメントするが、開発の効率化で高度なゲームが安価で大量に遊べるのはありがたい話なのかもしれないが、大量消費文化の弊害で一つの作品に腰をすえてゆっくりプレイできなかったり、システムの複雑化のせいでボタン操作が煩雑になりゲームシステムや用語の理解にも初期段階で結構な時間を取られるのも精神的負担になった。つまり今のゲームは画面や演出、システムのレベルが高く非常によく出来ていてるのだけど、高度化と複雑化のせいでロード時間は長くなり操作やシステムも分かりづらく、ストレスも溜まるようになってしまった。とにかく手軽ではないというのが現代のビデオゲーム全般の傾向。電源を入れてスタートボタンで直ぐにプレイできたファミコン時代が懐かしいし、ゲームは楽しむための娯楽だから本来はこうあるべきだと思う。

ゲームの世界を楽しむ純粋なプレイヤーとしてではなくて、多くの作品を比較や分析し続ける評論家ポジションでのプレイは冷静な監督目線で遊べるのでこれはこれで良いのだが、選手目線の熱い興奮に乏しいのが残念である。

Pocket
このエントリーをはてなブックマークに追加

コメント

タイトルとURLをコピーしました